タイの農村で田植えに励む女性たち。昨年は干ばつに見舞われた=東北部のコンケーン、竹内写す

○井戸のため借金、悲劇
インド南部のデカン高原に広がるアンドラプラデシュ(AP)州の穀倉地帯。雨期を待つハンワダ村の土は乾き、ひび割れていた。
農家のマンタディさん(35)が農薬を飲んで自殺したのは6月中旬だった。
田んぼに水をひく井戸を掘るため、高利貸から15万ルピー(約40万円)を借りた。しかし、100メートル掘っても十分に出ない。借金取り立てに追われた末のことだった。
妻インディラナさん(35)が嘆く。「水さえあれば、死ぬ必要はなかったのに……」
産業発展の陰で、インドでは貧しい農民の自殺が相次いでいる。この10年で16万人以上。井戸掘りや家畜・肥料を買うための資金繰りなど借金を苦にした人が多いという。AP州農民組合のレディ事務局長は「自殺者は干ばつの年に増える」と話す。
AP州の降雨量は年700ミリ程度と東京の半分ほどで、水不足が深刻だ。内陸の多くが雨頼みの天水農業。インド国内の農地の灌漑(かんがい)率は4割で全土に約2千万もの井戸があり、水のくみ上げ過ぎで地下水層は年々下がっている。
インドは米国に次ぐ世界第2位の耕地面積を持ち、中国に次ぐ世界第2位のコメ生産国。2050年に人口は16億と中国を抜いて最大になる。その時の世界人口は90億を超え、穀物全体の需要は30億トンと今の1.5倍に膨らむと予測される。世界の穀物のほぼ1割にあたる約2億トンを生産するインドの行方は、世界の食糧安全保障を左右する。
インドは昨年10月にコメの輸出規制を発動した。これが輸入国のバングラデシュでの暴動につながり、フィリピンがコメの緊急輸入で日本に支援要請する事態に発展した。
食糧需要の高まりで、ますます水の重要性は増す。
インド政府は人口が2割増える20年の穀物需要を2億5千万トンと見込む。インドに多い菜食主義者が所得向上で肉食に転じる勢い次第で「3億トン以上が必要」との予測もある。インド農業研究所のパティル所長は「国民を飢えさせはしない。だが、それには水が不可欠だ」と語る。
水不足に対し、政府はため池など小規模の灌漑整備に努める一方、大規模な公共事業で対応しようとしている。
30年以上前からの構想として、ガンジス川など全国の主な川を30の水路で結ぶ「河川連結」の案がある。全計画を実施すれば、千億ドル以上の巨費を要する「国土大改造」であり、先送りされていたが、政府は最近、五つの事業を選び、着工や事業化調査に動き出した。世界の食糧危機をきっかけに息を吹き返した。
だが、いくつもの州が河川の水利権で対立する「水争い」がすでに起きている。
南部のタミルナド州では主要河川の水を使い、日本の円借款で上水道整備事業が予定されている。これに対して今春、流域の州から水利に悪影響が出ると異論が出た。農民らの間から日本企業と製品を排斥する声まで上がった。
○タイでも巨大灌漑網
東南アジアでも、水が食糧増産のカギを握る。
タイ政府は今月15日、ラオス国境を流れるメコン川水系の水をタイ東北部にひき、大規模な灌漑網を巡らす事業を閣議決定した。総工費は760億バーツ(約2400億円)。すでにラオスと合意を交わし、日本企業も工事受注を狙って動き始めた。資金は中国が支援するとの観測もある。
タイは世界のコメ貿易量の3割前後を供給する最大の輸出国だ。約2千万トンを生産し、約半分を輸出してきた。93、94年に起きた日本のコメ不足の時も緊急輸入したのはタイからだった。
だが、コメ生産の半分を占める東北部は深刻な水不足に陥っている。農地の8割が天水農業だが、最近は2、3年おきに干ばつに見舞われる。ため池を掘って灌漑に努めているものの、単位収量は日本や中国よりずっと少ない。
東北部に比べて中部、北部の穀倉地帯は灌漑は進んでいる。しかし、タマサート大学経済学部長のニポン教授は「中部や北部では農業と工業・都市部門の間で水の取り合いが起きている。限られた水資源の中で生産は目いっぱい」と指摘する。「若い労働力は工場や都市に移り、農家の平均年齢は50歳近くなり、高齢化が進行している。タイはコメの世界市場に貢献してきたが、将来は日本の農業を後追いする可能性がある」
タイ国内に供給する食糧が不足する事態は考えにくいが、東北部の巨大事業が動き出したのは、水さえあれば、外貨獲得源であるコメ生産の拡大が見込めるとの思惑からだ。タイ政府コメ局のプラサート局長は「東北部の灌漑が実現すれば、コメの生産倍増も可能」と豪語する。
だが、この事業には疑問の声が尽きない。「メコン川下流のベトナムの反対もあり得る。岩塩層が地下に広がる土壌だから、塩を呼び起こすだけだ」とニポン教授もみる。
アジアでは、中国でも南部の水を北部に送る「南水北調」の大運河計画が進んでいる。水をめぐる「国土大改造」は、食糧危機で拍車がかかりそうな勢いだ。
限られた水を分け合い、急増する食糧需要に応えることができるか。そこに「第2の緑の革命」の行方、そして地球の未来がかかっている。(編集委員・竹内幸史)
○「第2の緑の革命」へ節水農法
アジアの水不足の地域に今、導入が図られている農法がある。「SRI(コメ高収量システム)」という節水型の稲作技術だ。
水田に25センチほどの間隔で若い苗を1本ずつ丁寧に植える。何本もまとめて植えるより、「稲が持つ本来の生命力を引き出せる」という。少ない水でも育つよう何度も水を抜き、除草管理もきめ細かくすることで茎が太くなり、穂が増え、米粒も大きくなる。
80年代にマダガスカルで開発されたのを米国や日本の学者が研究し、「環境に優しい持続的な農法」として提唱した。中国、インドネシア、バングラデシュなど20カ国以上で急速に普及している。各地でNGOが支援する。
インドではAP州で州政府が04年に導入したところ、田の水量が3割減らせ、単位収量は倍増したという。種や肥料も節約できるため、「今の7万ヘクタールから5年で20倍に拡大する」(州政府)構え。中央政府も今年は全国20万ヘクタールに広げる方針だ。
旗振り役の一人は、インドで「緑の革命の父」として知られるスワミナタン博士(82)だ。60年代以降、コメと小麦の新品種を導入して食糧自給に成功した。一方で、膨大な水をくみ上げ、化学肥料を大量投入する「負の構造」を定着させたとの批判もある。
「当時は水があった。使われていない水を最大限利用した。農業はすべてを実現する魔法ではない」と博士はいう。「『第2の緑の革命』は環境条件に応じたエコロジカルな農法で乗り切る必要がある。SRIはそのひとつだ」
もっとも、こうした農法を普及させるには、農民の教育が欠かせない。AP州に本部がある世界銀行傘下の国際機関、国際半乾燥熱帯作物研究所の所長で、元フィリピン農業相のダー氏はいう。「アジアでは過去20年余、工業発展を追いかけるあまり、農業も農民も無視されてきた。第2の緑の革命には、農民の生活と教育支援によって人々の能力向上を図る努力も欠かせない。包括的な農業ルネサンスが必要だ」
《緑の革命》 第2次大戦後、途上国に穀物の高収量品種を導入し、60〜70年代に成し遂げた増産事業。大戦末期に米ロックフェラー財団が進めた新品種開発に端を発し、まずメキシコで小麦増産に成功。インド、インドネシア、フィリピンなどでコメ増産も達成した。世界銀行グループの国際イネ研究所(IRRI)などが貢献した。冷戦下、共産主義の「赤い革命」に対抗する狙いもあった。主導した米国のボーローグ博士は70年にノーベル平和賞を受賞。半面、水と化学肥料の大量消費を定着させ、多国籍農業ビジネスの利権を世界規模に広げたとの批判もある。