2008年9月19日
筆者が東京時代に乗っていたビュイック・リーガル
V6 OHVエンジンが奏でるレトロな音が好きだった
ビュイック・パークアヴェニュー(GM提供)
パリで。GMが70年代末に「打倒日本車」のもと出したXカー
欧州製の小型キャディラック、BLS
■手放しで喜べない
アメリカのゼネラル・モータース(GM)が創業100周年を迎えた。
ただし、ここ数カ月のニュースを追ってきた身には、あまり浮かれムードにはなれない。利幅の大きい大型車中心のラインナップは、景気後退・原油高騰の波をもろにかぶってしまった。
2007年は4.1兆円と過去最大の赤字を計上。グループ全体の生産台数はなんとか世界一を守りきったが、2位のトヨタグループに僅か3千台差まで迫られた。
今年に入ってからは過去最大の追加リストラを実施。7月には株価が60年ぶりに10ドルを切って、経済界を騒がせた。また同社の8月の新車販売台数も、20%を超える大幅減となった。
かつての社長が「GMにとって良いことは、アメリカにとって良いことだ」と豪語した時代の影は、もはやない。
■2台のビュイック
今はイタリアに住むボクだが、もともとアメリカ車が好きだった。
それもコーヴェットやカマロといったスポーツタイプではなく、平凡なアメリカ人家庭が乗っていたようなセダンに興味があった。
背景には米軍基地の近くに生まれ、幼少時に金網の向こうの巨大アメリカ車を眺めていた最後の世代ということがある。ちなみに小学生くらいになるとドルが安くなって、米兵たちがトヨタやマツダの中古車を乗るようになってしまったのは残念だった。
同時に、ドイツ車党であった父親への反骨精神もあった。
したがって90年代初頭の東京サラリーマン時代、最初に自分の給料をはたいて買ったクルマこそフィアット・ウーノだったが、次はアメリカ車に乗ることにした。
条件は、
・6人乗りベンチシート
・コラムシフト
・シートは革でなく布
つまり、アメ車の王道である。
結局、予算200万円+フィアット・ウーノの下取り費用で買えたのは、数年落ちのビュイック・リーガルだった。本国ではビュイック・センチュリーといっていたが、日本ではトヨタと商標がバッティングしたため改称されたのだろう。
あと100万円頑張れば、同じ中古のキャディラック・フリートウッド・エレガンスもあった。しかしビュイックのほうが、より普通のアメリカ車っぽい。かつて吉田茂元首相や作曲家ジョージ・ガーシュウィンも乗っていた、由緒あるブランドである。ということでリーガルを手に入れた。
ダッシュボードの木目は、目を近づけると印刷のアミ点が見えてしまうような程度のものだったが、青いベロアのベンチシートは、予想どおりアメ車ムード満点だった。
エアコンも、自分が冷蔵庫の魚かと勘違いするほどよく効いた。
ところが欲というのはとどまるところを知らぬもので、36カ月ローンを払い終わる頃になると、もうワングレード上のモデルが欲しくなった。
「全長5メートルを超えなければアメ車ではない」という勝手な妄想が頭をもたげ始めたためだ。
ということで、再び36カ月ローンを組んで、今度は同じビュイックの最高級車を買った。車名はパークアヴェニュー。発音するだけで、しびれた。
左右別々に温度調節できるエアコンは今でこそリッターカーにも付いているが、当時は自慢の装備だった。
■「最後のいい時代」だったかも
ただし、さすがに全長5メートルを超えると狭い路地で取り回しに困った。そのため広い通りに回り道をしなければならず、自分の家に簡単に帰れなくなってしまった。
続いて、イタリア行き資金が足りなくなって、売らざるを得なくなった。
結局1年ちょっとで、知り合いの判子屋さんの社長に引き取ってもらうことになった。当時の中古車業界の基準レートをもとに取引をしたのだが、1年で100万円以上も査定価格が下がっていたのには参った。面白くて、やがて悲しきアメリカ車である。
こうやって振りかえってみると計画性のない自分に情けなくなるが、おかげで日本車をお手本にしないアメ車が残っていた最後の時代に、それを存分に味わえたのも事実だった。
面倒くさいことは警告灯任せ。リーガルには回転計さえなかった。それでもコラムシフトをDレインジに入れれば、いつでも魔法の絨毯の如く快適に動く。まさに究極の家庭用品だ。自動車がないと成立しないアメリカにおける、クルマのあるべき姿であることを認識させてくれた。
今でも体が覚えているのは、ボクが乗った2台のビュイックともロングホイールベース+ふわふわしたサスペンションゆえ、首都高の継ぎ目をまるで波に乗る豪華ヨットのように乗り越えていったことである。気分は陸の加山雄三であった。
もちろんメーカーとして利幅の大きい大型セダンが、今日まで続く巨大SUV&ピックアップ依存体質を呼び、GM不振を招いたのは承知だ。
しかし現在、ホイールベースが短く背高のクルマで、劣悪なイタリアの舗装道路をガタガタ走ってお尻に突き上げを喰らっているボクとしては、やはり大きなゆったりしたクルマは過ぎ去りし日の夢である。
欧州ではジュネーヴなど一部大都市を除いて、アメリカ車を見かけることは少ないから、さらに郷愁は募る。
唯一の朗報は、ボクが乗っていたパークアヴェニューの後継モデルが、中国で現地生産されて生き延びているということだ。いつか彼の地でその姿を見たら、懐かしくて涙が溢れだすに違いない。「煙が目にしみる」ならぬ「ビュイックが目にしみる」である。
蛇足ながら今回の執筆にあたり、今では到底考えられない「平サラリーマンがビュイック2台」という独身時代の異常な消費行動を女房に話した。
するとどうだ。彼女は「あら、そんなクルマ乗ってたかしら」と宣うた。
男のデート車に対する気合と、女の記憶力はまったく比例してない。ボクにとっては、GMの経営状況以上のショックだった。

歌うようにイタリアを語り、イタリアのクルマを熱く伝えるコラムニスト。1966年、東京生まれ、国立音大卒(バイオリン専攻)。二玄社「SUPER CAR GRAPHIC」編集記者を経て、96年独立、トスカーナに渡る。自動車雑誌やWebサイトのほか、テレビ・ラジオで活躍中。
主な著書に『イタリア式クルマ生活術』、『カンティーナを巡る冒険旅行』、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(いずれも光人社)。最新刊は、『Hotするイタリア―イタリアでは30万円で別荘が持てるって?』(二玄社)。